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水戸城 の変更点

#include(城娘,notitle);


|CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):100|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):100|BGCOLOR(#FCC):80|c
|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''No.026''|
|&attachref(./top.jpg,nolink);|>|城属性|>|&ref(画像置場/平山.png,nolink);|
|~|>|令制国|>|[[常陸]]|
|~|>|武器属性|>|&ref(画像置場/鉄砲.png,nolink); [[鉄砲>アイテム/鉄砲]]|
|~|>|初期装備|>|[[中筒]]|
|~|>|[[専用装備>アイテム/専用装備]]|>||
|~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''|
|~|耐久|1486/&COLOR(red){2163};|&ref(画像置場/攻撃.png,nolink,70%); 攻撃|118/&COLOR(red){173};|
|~|&ref(画像置場/対空.png,nolink,70%); 対空|113/&COLOR(red){168};|&ref(画像置場/速度.png,nolink,70%); 速度|60|
|~|&ref(画像置場/範囲.png,nolink,70%); 範囲|86|&ref(画像置場/会心.png,nolink,70%); 会心|29/&COLOR(red){49};|
|~|&ref(画像置場/防御.png,nolink,70%); 防御|76/&COLOR(red){100};|&ref(画像置場/後詰.png,nolink,70%); 後詰|12|
|~|&ref(画像置場/しんがり.png,nolink,70%); しんがり|17|&ref(画像置場/運.png,nolink,70%); 運|124|
|~|&ref(画像置場/技能.png,nolink,70%); 技能|36/&COLOR(red){48};|||
|~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''属性''|
|~|&ref(画像置場/人知.png,nolink,70%); 人知|16/&COLOR(red){26};|&ref(画像置場/動物.png,nolink,70%); 動物|33/&COLOR(red){52};|
|~|&ref(画像置場/神仏.png,nolink,70%); 神仏|16/&COLOR(red){26};|&ref(画像置場/自然.png,nolink,70%); 自然|16/&COLOR(red){26};|
|~|&ref(画像置場/海洋.png,nolink,70%); 海洋|16/&COLOR(red){26};|&ref(画像置場/鳥虫.png,nolink,70%); 鳥虫|23/&COLOR(red){36};|
//
|BGCOLOR(#FCC):&ref(画像置場/技.png,nolink); この紋所が目に入らないの!&br;(攻撃力を超絶アップ/範囲:遠)|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''消費資源''|
|~|>|>|>|&ref(画像置場/木.png,nolink,70%); 19 &ref(画像置場/鉄.png,nolink,70%); 19 &ref(画像置場/米.png,nolink,70%); 103|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''改築''|
|>|>|>|>|CENTER:[[馬場城]] → &color(Maroon){''水戸城''};(Lv30)|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑説明''|
|>|>|>|>|私は水戸城。&br;1609年、徳川頼房が25万石で入城して以降、廃城まで水戸徳川家の居城となっておりました。&br;当時の城主様は天守は構えず、櫓などもそれは簡素な造りでしたわ。&br;とても質朴な方で、その心持ちが当時の私の姿にも反映されておりました。|


*比較 [#comparison]


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|No.|城娘|レア|城属性|武器|改築&br;/近改|耐久|攻撃|対空|速度|範囲|会心|防御|後詰|しん&br;がり|運|技能|BGCOLOR(#555):COLOR(White):人知|動物|神仏|自然|海洋|鳥虫|BGCOLOR(#555):COLOR(White):木|鉄|米|h
|||CENTER:|CENTER:47|CENTER:|BGCOLOR(#FCC):RIGHT:|RIGHT:|>|BGCOLOR(#ddd):RIGHT:|>|RIGHT:|>|BGCOLOR(#ddd):RIGHT:|>|RIGHT:|>|BGCOLOR(#ddd):RIGHT:|>|BGCOLOR(#ffd):RIGHT:|>|BGCOLOR(#ffc):RIGHT:|>|BGCOLOR(#ffd):RIGHT:|>|>|RIGHT:|c
|025|[[馬場城]]|BGCOLOR(#FCC):1|&ref(画像置場/平山.png,nolink,80%);平山|&ref(画像置場/刀.png,nolink,80%);刀|30|902|108|0|88|38|35|35|10|19|66|43|0|8|0|0|0|6|8|10|45|
|026|[[水戸城]]|BGCOLOR(#AAA):3|&ref(画像置場/平山.png,nolink,80%);平山|&ref(画像置場/鉄砲.png,nolink,80%);砲||1486|118|113|60|86|29|76|12|17|124|36|16|33|16|16|16|23|19|19|103|


|BGCOLOR(#ddd):|||c
|&ref(画像置場/技.png,nolink);|[[馬場城]]|納豆糸切り(耐久を超回復/範囲:自身)|
|~|[[水戸城]]|この紋所が目に入らないの!(攻撃力を超絶アップ/範囲:遠)|


*ボイス [#voice]

#table_edit2(,table_mod=open){{
#table_edit2(,table_mod=close){{

#region(キャラクターボイス:[[加隈亜衣>https://twitter.com/aimausu/status/535727101869969408]] (ここをクリックすると台詞一覧が開きます))
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):|SIZE(12):|c
|CV担当|[[加隈亜衣>https://twitter.com/aimausu/status/535727101869969408]]|
|獲得時|殿、お久しぶりでございます。&br;あら? 私をお忘れですか?&br;馬場城改め、水戸城でございますわ。|
|開始||
|変身|ナットウキナーゼパワー!変身!|
|入城|戻って参りましたわ。|
|クリック|私には天守がございません。御三階櫓がその代わりです。えっと、背中のは……ちょっと、天守ではなく印籠です。|
|~|殿……相変わらずお顔色が悪いご様子。一度私に診察させていただけませんか?ええ、お時間は取らせませんから。|
|~|え?私に姉妹ですか?さ…さーあー?殿の勘違いじゃありませんか?私は一人っ子なので妹なんておりませんわ!|
|編成|諸国漫遊の旅に出たいのですが……。|
|~|海鼠壁は火に強いんですよ?|
|所領|流行病の予防を呼びかけなくては。|
|出陣|大日本史の一項としてくれますわ|
|~|副将軍の意味を、お教えしますわ!|
|合戦|控えおろう!……でございますわ!|
|~|あなたの急所は……ココよっ!|
|配置|あらあらぁ~?|
|スキル発動|助、格!印籠モードへ移行!|
|~|控えい!控えい!私を誰と心得てますの?|
|論功行賞|この銅板葺きの美しい緑を、覚えておいてください。|
|~|佐々(さっさ)さん、安積(あさか)さん、お見事でしたわよ。|
|全壊|くっ…ここまでのようですね…|
|敗北|殿、これ以上のご無理はおすすめできませんわ。|
|~|悔しいですが、一度引きましょう。勝利の機会は、またあります。|
|しんがり|皆様、お逃げなさい。後はわたくしが!|
|撤退失敗|あらぁ…もしかして…捕まってしまいました?|
|探索開始|医療鞄を忘れないようにしないと。|
|探索終了|ふぅ、只今戻りましたわ。|
|装備|それは網タイツじゃなくて、海鼠壁(なまこかべ)ですよ?|
|増築|堀くらい新しく作ろうかしら?|
|改築||
|修繕|治してくださるのですか?お世話をお掛けします。|
|築城|仲間が増えても、治療はすべてお任せ下さい。|
|築城完了|新入りですか。早速検診してみますわ。|
|道具|これを使ったらどうなるかしらぁ?|
|商人|何か良い出物がありますの?|
|捕虜|ふふっ。わたくしなら、心配無用です。なんとか自分の足で、帰りますわ。|
|解放|ふぅ、ようやく戻れましたわ。|
|別離||
|放置|ちょっと!黄門っていうのは、中納言っていう意味ですわよ!?勘違いしないで!|
&br;
#endregion

}}
*入手方法 [#get]
|BGCOLOR(#ddd):80||c
|合戦場||
|[[築城>築城/築城・廃城]]||
|[[探索]]||
|他|[[普請/改築・近代改築]]|
*画像 [#image]
#region("COLOR(red){←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい}")
|&ref(水戸城/水戸城 御嬢.png,50%);|&ref(水戸城/水戸城 城娘.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region("COLOR(red){←クリックすると半壊、技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい}")
半壊、技画像
|&ref(水戸城/水戸城 半壊.png,50%);|&ref(水戸城/水戸城 必殺技.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){半壊}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){必殺技}};|
#endregion
#endregion
&br;
&br;

|&ref(水戸城/馬場城 近代改築.jpg,75%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){近代改築}};|

|&ref(水戸城/水戸城 SD.png,あらあらぁ~?);|&ref(水戸城/水戸城 SD2.png);|&ref(水戸城/水戸城 SD3.png);|
*現実の城情報 [#information]
 水戸城は建久年間(1190~1199)に築城されたと推定されている。築城者は、馬場資幹である。旧名である馬場城の名は、当時あった水戸明神の馬場に城を築いたためと言われている。馬場氏は、常陸国の有力御家人であった大掾氏の支族であり、平将門を藤原秀郷とともに討ち取った平貞盛の弟繁盛に端を発する一族である。のち、馬場氏は大掾氏の本家を継ぐが、大掾家の本家は石岡の府中城に起居し、水戸城は支城として、北方の抑えとなった。
 大掾氏の満幹は上杉禅秀の乱(応永23年、1416)で、上杉方に味方したためにに勢力を失い、鹿島神宮の祭祀のために水戸城が留守になった応永33年(1426)6月23日に、河和田城主江戸通房に精鋭18人をもって急襲され、水戸城は江戸氏のものとなる。以後、小田原征伐(天正18年、1590)に参加しなかったことにより、佐竹氏に攻略されるまで約164年間、江戸氏の本城となった。なお、このころの縄張りは、現在の本丸及び、下の丸を二の丸として、大手門を北に開いたものであったという。現在は、このころの遺構は残っていないが、徳川時代までは橋や門の一部に残っていたようである。
 佐竹氏が常陸の大名として豊臣秀吉に21万貫を安堵されると、佐竹義宣は江戸重道に天正18年8月、水戸城の明け渡しを要求したが、江戸重道が拒否したため、同年12月に佐竹義重、義宣父子は水戸城を2方から攻撃、攻略した。攻略後、常陸経略のために佐竹義宣は本城を太田城から水戸城に移し、経営に着手する。この際に、水戸城も文禄元年(1592)から慶長7年(1602)にかけて拡張された。
 しかし、関ヶ原の合戦で佐竹氏は積極的に徳川家康に味方しなかったとして、慶長7年7月秋田久保田に転封となり、同年11月には徳川家康5男武田信吉が水戸15万石の領主となったが、翌年9月に逝去し、11月に家康10男の徳川頼宣が入部する。頼宣は慶長14年(1609)年、駿河に転封となり、替って11男の徳川頼房が25万石で入城、以後水戸徳川家の血統は絶えることなく幕末まで続く。
 徳川時代に水戸城の施設は何度か建築、修繕されており、寛永2年(1625)には大手橋、寛永5年(1628)には御三階櫓、帯郭、郭門等が造られ、寛永15年(1638)には堀普請、下って天保12年(1841)には弘道館ができている。また、享保18年(1733)、延享3年(1746)に門が修繕されている記録が残る。御三階櫓が銅板葺になったのは享保9年(1724)という。(それまでは茅葺)
 しかし、明治維新の際に弘道館戦争(明治元年、1868)で多くを焼失、明治5年(1872)の水戸城放火事件で藩庁が焼失し、残った建物も、御三階櫓を含め昭和20年(1945)の水戸空襲で多くを焼失したため、現存する遺構は下記のとおりである。
 地形としては、水戸台地の東端部に造られた連郭式の平山城で、現在の地形と違い、千波湖が現常磐線を覆うように那珂川付近まで伸びていたため、三方を崖と水に囲まれ、開口部は西側にしかない堅城であったとされる。現在は、旧本丸及び下の丸に水戸一高、旧二の丸に水戸三高、水戸二中、茨城大学附属小があり、三の丸には茨城県立図書館や水戸市役所・茨城県庁の出先機関等が建てられている。

 なお、水戸黄門(徳川光圀)が世直し諸国漫遊を行うというものは、幕末期に講談によって広まったものである。徳川光圀は当時から名君の誉れ高く、亡くなった時に「天が下 二つの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」と謳われるほどであったという。諸国漫遊のモデルには、歴史書『大日本史』(明暦3年、1657編纂開始~明治39年、1906完成)の編纂の資料収集のために、諸国に学者を派遣したことが背景となっている。助さん(佐々木助三郎)、格さん(渥美格之進)のモデルは、『大日本史』を編纂していた部署である彰考館の総裁であった佐々介三郎宗淳、安積覚兵衛覚の2人である。

|BGCOLOR(#ddd):80|800|c
|所在地|茨城県水戸市三の丸1丁目119の1外|
|現存状態|薬医門(旧橋詰門、本丸西側)、弘道館(旧藩校)、空堀、土塁(本丸、二の丸、三の丸、下の丸)、桝形|
|城郭構造|連郭式平山城|
*コメント [#comment]
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