松江城 のバックアップの現在との差分(No.3)
城情報松江城(まつえじょう)。別名、千鳥城(ちどりじょう) また日本さくら名所100選、都市景観100選 主な城主は堀尾氏、京極氏、松平氏(越前松平)。 江戸時代初期に堀尾吉晴、忠氏親子が月山富田城からより利便性の高い地を求めて 江戸時代初期に堀尾吉晴、忠氏親子が山城である月山富田城からより利便性の高い地を求めて 宍道湖沿岸の松江の亀田山に築城した。 吉晴は築城の名手である豊臣秀吉の重臣であったこともあり、 江戸時代の平山城でありながら独特の銃眼や石落とし、T字に組まれた城下町など 非常に無骨で実戦的な仕掛けを多数備えた戦闘用の城塞である。 ただ、結局明治に至るまで一度も実戦には巻き込まれなかった。 松江の地は山陰における交通の要衝として古事記や風土記にも名前の残る場所であり、 本州に寄り添うような形の島根半島が作る2つの湖の間に位置する水運の拠点でもあった。 「床几に座す鎧武者」とも言われる黒板に純白の漆喰、灰黒色の瓦というモノトーンの外観は、 堀尾吉晴は築城や大規模工事を得意とした秀吉一党の中でも最古参の一人で、 築城の名手と名高い加藤清正や藤堂高虎とも親交があり自らもまた名手であった。 そのため、江戸時代初期の平山城でありながら独特の銃眼や石落とし、不揃いの大きな石を使った石垣、 「鍵型」と呼ばれるT字を組み合わせたような通りで構成され各所に戦闘拠点となる寺を配置した城下町など、 美観を保ちながらも非常に無骨で実戦的な仕掛けを多数備えた、日本でも有数の戦闘用城塞都市となっている。 結局明治に至るまで一度も実戦には巻き込まれず、明治期に天守閣以外が破却されるが有志が買い戻して存続し、 後の太平洋戦争でも空襲などはなく無事だったため、現在に残っている。 水運を重視して湖畔の湿地帯を開発したことで水都と呼ばれるほど多数の川や堀が城下を巡っており、 城下の橋数は日本一とも言われ、平山城ではあるが水上の城としての趣もある。 「床几に座す鎧武者」とも言われる、黒板に純白の漆喰、灰黒色の瓦を使用したモノトーンで重厚な外観は、 現存12天守のなかでも人気が高い。 2001年に当時の工法で正面の二の丸櫓が復元され、更に美しい景観を取り戻している。 余談だが、大作格闘ゲーム「STREET FIGHTER」シリーズの リュウステージの背景である朱雀城はこの松江城がモデルであり、 リュウステージの背景である朱雀城はこの松江城天守がモデルであり、 その姿は「日本の城」の代表的なイメージとして世界中に広まっている。 国宝化を目指して研究や推進の運動が行われた結果、正確な建築年を証明する札が発見され、 それを根拠として2015年に天守が国宝指定された。 国宝や重要文化財は通常、新たな知見や状態の変更、損失などが無い限り指定が変更されることはないので、 国宝指定のための建前となる「新たな知見」を探すべく、松江市は賞金まで出して有力な情報を探しており、 その執念が結実した形になる。 現存天守としては五つ目の国宝。
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