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佐賀城は村中城に近代改築を施すことで入手できるように、村中城に改修を加えた城である。
図鑑説明のとおり平坦な土地にある城なので、内部を隠すために木を植えたり攻撃された際には外堀を水没させる仕組みだったりと創意工夫(知略)が施された城だった。 木の中に埋もれている様子や、敵を水没できる仕組みから「沈み城」とも呼ばれている。 そのカモフラージュ用の木々のせいか何度も火災に遭い、1726年にはかっこいい天守を消失、1835年には御殿のある二の丸が全焼する大惨事に遭ってしまう。 焼けて荒れ果てた佐賀城を再建させたのは肥前国佐賀藩第10代藩主、「佐賀の七賢人」の一人、鍋島直正。 彼は軍備強化に力を注ぎ、西洋技術も積極的に取り入れていった。その結果"佐賀藩兵40名ほどが他藩の1000名に匹敵する"とまで言わしめるほどに軍備を成長させた。 また直正は蘭学も積極的に学んでおり、日本から天然痘が根絶できたのは直正が牛痘ワクチンをいち早く輸入・試験を行ったからとも言われている。 佐賀城がしきりに知や軍学のことを口にするのは、その地理的な出で立ちと直正の影響があるのかも知れない。
鍋島氏と猫と言えば、「鍋島化け猫騒動」。 上記の「龍造寺隆信が戦死したのち、家臣の鍋島直茂が実権を握るようになった」ことを発端・元ネタとした御家騒動伝説のことである。 実際は鍋島直茂は龍造寺の霊を沈めるためにお寺を建てた上に実権継承も特に問題はなかったと言われているが、関係者の早死・芝居化された際に当の鍋島氏(鍋島直孝)が上演中止させたために却って炎上・有名になってしまった。 ちなみに鍋島直孝の正妻の名も"クマ"だったりするが、まぁ村中城とは関係はないだろう。
佐賀城の必殺技は「葉隠」の「(武士道と云ふは)死ぬ事と見つけたり」という有名な一文が元。 しかしこの一文の強烈なインパクトからか「武士道は死ぬことで完結するのだ」「武士は死んでナンボ」のような誤解が頻繁に見られる。
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