国崩し のバックアップの現在との差分(No.3)
初期装備城娘開発
その他入手方法
伝来・解説国崩し1576年(天正4年)、キリシタン大名の大友宗麟が、日本に布教に来たポルトガル人宣教師達から火縄銃や硝石等と共にフランキ砲を輸入したとされ、日本で最初の大砲といわれる。 砲はインドのゴアで交易品として作られたもので、本来は艦砲用の設計である。 輸入された2門(10門とも)のフランキ砲は、その大きな威力から「国崩し(くにくずし)」と名づけられた。これは「(敵の)国をも崩す」という意味であったものの、 配下の中にはこれが「自国を崩す」意味にもつながるとして嫌ったと言われる。果たしてその後大友氏は薩摩の島津氏に蹂躙されることとなった。 しかし宗麟の臼杵城篭城の際は、その巨大な砲弾と威力で敵の島津軍を驚かせ、食い止めるのに役立った。 大友氏除国後も、江戸時代を通じて臼杵城本丸に配備されていた。 靖国神社付属の博物館「遊就館」に、「国崩し」の1門が展示されている。明治初頭廃藩置県時に国へ献上された。口径9cm、全長290cm。 臼杵城跡地の臼杵公園と、臼杵図書館に、この砲の複製が置かれている。 フランキ砲16世紀の大砲の種類で、原始的な後装砲である。フランキとも。 主に東アジア史で西洋人によりもたらされた後装砲を意味する用語である。 日本に最初に伝わった大砲ともされる。日本では大友宗麟が使った大砲として知られるが、正確には特定の砲ではなく砲の種類である コメント |
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