大坂城 のバックアップの現在との差分(No.10)
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画像イラストレーター:村上ゆいち
ゲーム上の性能・評価大阪城ではなく、大坂城。 現在「【坂】じゃなくなったのは、分解すると「土に返る」と読めてしまい縁起が悪いから江戸時代に変えたって、24年前の社会科の先生が言ってた」らしい。 消費資源の米529もさることながら、捕虜時の身代金として米3,000石2,000金6,000要求される。 性能が高いがそれなりのリスクが付き纏う。 石山御坊からリニューアルしたことで、米の消費量も胸部装甲もパワーアップしている。 石山御坊のスキルが自己回復系であったのに対し、こちらは範囲大:全のサポート型となっている。 HPは改築前に比べ倍以上アップしており、使ってみれば石山御坊に比べて打たれ弱くなったという実感はないと思われる。ステータスとしては対空持ちの刀でもトップのHP、攻撃、対空、速度を持ち、範囲も御坊時代から若干下がったものの平地でのボーナスを受けられる上93という高数値を持っている。 スキルの範囲拡大も味方との距離を問わない為、味方と並べて防御ボーナスを共有してもいいし、味方と切り離してもスキルの恩恵を与えることができるので置き場を選ばず運用できるのが強みだろうか。HPも高いので多少の遠距離攻撃では簡単には落ちることもなく、地上・対空を問わず部隊の攻撃の要として開始から合戦終了まで長く活躍することが出来るだろう。 勿論、前線に置く場合は、その分敗北時に捕虜となるリスクを負うことになる。他のホロにも同様の事が言えるが、本城以外で使用する場合は資源の状況と相談して運用したほうが無難だろう。名古屋城や高知城などと同様に、身代金は決して安くない。 ここまで大坂城について述べたが、石山御坊の回復スキルは滝山城や馬場城といった回復スキル持ちと同じく、特定のマップを無傷・完勝狙いで周回するといった際にも役立つ為、大坂城に改築せずに石山御坊のままで運用するのも十二分に有用なので、石山御坊のレベルが30になっても一考に付す事をお勧めする。 また米の消費量も御坊時代に比べると529という破格の消費量であり、安易に近代改築してしまうと米の消費量が重たくレベリングが大変になるので、高レベルで大坂城を運用したい場合はレベル30で近代改築せず、石山御坊のまま目的のレベルまで引き上げるのもいいかもしれない。 現実の城情報大坂城は、摂津国東成郡大坂(現在の大阪市中央区大阪城の大阪城公園)にあった安土桃山時代から江戸時代の日本の城および、由来する大阪市の地名である。 別称は"金城"あるいは"錦城"という。近代以降、「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。 古くは「大坂城」をおおざか城と呼んでいた。 別称は"金城"あるいは"錦城"という。近代以降、「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。古くは「大坂城」をおおざか城と呼んでいた。 上町台地のほぼ北端、石山本願寺の跡地に1583年(天正11年)、羽柴秀吉が築城を開始した。 完成に1年半を要した本丸は、石山本願寺跡の台地端を造成し、石垣を積んで築かれたもので、巧妙な防衛機能が施された。秀吉が死去するまでに二の丸、三の丸、総構えが建設され、3重の堀と運河によって囲むなどの防衛設備が施された。天守は、絵画史料では外観5層で、「大坂夏の陣図屏風」や「大阪城図屏風」では外壁や瓦に金をふんだんに用いた姿で描かれており、それに則した復元案が多くある。大坂城の普請中に秀吉を訪問し、大坂城内を案内された大友宗麟は、大坂城を三国無双(さんごくぶそう)と称えたという。 かつて、この地のすぐ北の台地下には淀川の本流が流れる天然の要害であり、またこの淀川を上ると京都に繋がる交通の要衝でもあった。元々古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初期には石山本願寺があったが、1580年(天正8年)に石山合戦で焼失した。石山合戦終了後、織田信長の命令で丹羽長秀に預けられ、後に四国攻めを準備していた津田信澄が布陣したこともあったが、信澄は本能寺の変の際に、丹羽長秀に討たれた。その後、清州会議で池田恒興に与えられるも、ただちに美濃へ国替えとなり、秀吉によって領有された。そして秀吉によって大坂城が築かれ、豊臣氏の居城および豊臣政権の本拠地となったが、大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに焼失した。徳川政権は豊臣氏築造のものに高さ数メートルの盛り土をして縄張を改め再建した。その後、江戸幕府が大坂城代を置くなど近畿地方、および西日本支配の拠点となった。姫路城?、熊本城?と共に日本三名城の一つに数えられている。 現在は幕末期の櫓や門などが現存し、城跡は国の特別史跡に指定されている。昭和初期に復興された天守は登録有形文化財になっており、当時の関市長の呼びかけで市民らの寄付によって、約150万円(現在の約750億円に相当)が集められ建造されたもの。266年ぶりに甦った天守閣は、地上55m、5層8階、屋根の鯱、勾欄下の伏虎など、いたるところに施された黄金の装飾が燦然と輝いている(国の登録有形文化財)。平成7~9年(1995-97)にかけて大改修が行われた。8階の展望台からは大阪を一望でき、年間100~130万人が訪れている。 2014年11月に日本三大夜城に認定された。 後の2つは高田城と高知城。
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