本庄城 のバックアップソース(No.2)
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*城情報 [#information]
本庄城(ほんじょうじょう)とは、戦国時代の武蔵国児玉郡本庄(現在の埼玉県本庄市)に、武蔵七党の一角を占める武士団である児玉党を構成する本庄氏によって築かれた平城。後に本庄藩の居城となる。
その外観は石垣の城ではなく、天守といったものも存在しなかった。本庄宮内少輔実忠が古河公方家を迎え撃つために、元の本拠地であった東本庄館から大移動をして、弘治2年(1556年)に築かれた(書籍によって築かれた目的は異なり、諸説ある)。永禄10年(1567年)に一度は北条軍に落城させられるも、降伏し、後北条方に服属する(その地理上、どちらの軍にとっても攻略のための最前線の地となった)。天正8年(1580年)、実忠の死後、家督を継いだ本庄隼人正近朝が城主となり、後北条氏とともに、天正18年(1590年)に豊臣秀吉と対立し、小田原城へ籠城するも、落城に際して自害し、同年5月27日には本庄城も落城、ここに鎌倉時代から本庄の地を支配してきた武蔵国の本庄氏は滅亡した。本庄氏による在城期間は2代合わせて34年であった。

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|所在地|埼玉県本庄市|
|現存状態|石垣などが残る|
|城郭構造|平城|

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