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半壊、技画像
愛媛県今治市の沖合、波止浜湾を挟んで位置する来島を要塞化した島城。その歴史は1419年、村上義顕の三男・村上吉房が分家を立て、この島に城を築いたのが始まりとされる。最北部に本丸を配し、南に二の丸・三の丸と続く。現在も島周囲の岩礁にはピットの後が多く残っている。 吉房に始まる来島村上氏は6代約160年に渡って来島を本拠地とし、主家としていた伊予河野氏が内紛を繰り返す間に伊予本土にも勢力を拡大。中でも村上(来島)通康は河野通直の寵愛を受けて河野氏の後継者になりかけるほどの実力を備えていた。 通康の子・来島通総は河野氏から織田信長・羽柴秀吉に乗り換えて家の存続を図り、結果的に成功。四国征伐では先鋒を務め、九州征伐・小田原征伐でも豊臣政権下の大名として活躍を見せた。 だが、通総が文禄の役で戦死しその子長親(来島康親)の代に関ヶ原の戦いが起こると、西軍について敗北した来島氏は改易、来島城は没収される。後に長親は豊後森藩(大分県玖珠郡玖珠町)で大名に復帰するも来島には戻れず、来島城は廃城となる。来島氏は長親の子・通春の代に姓を「久留島」と変え、村上水軍の三家の中では唯一近世大名として明治の代まで永らえた。
プロフィールで言っている通り、「来島」の名は「狂う潮」がなまって付いたもの。
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