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鎌倉時代初期に岩村城を本拠地として恵那郡を統治した地頭遠山氏の初代遠山景朝には子が無く弟の遠山景村が遠山氏の二代目となる。 仁治2年(1242年)景村は木曽川北部の所領確立のため、木曽川左岸の西山戸から右岸の那木津戸に進出。那木津戸が当時、那木(苗木)と呼ばれた所で、遠山氏による木曽川北部進出の始まりとなった。 元弘(1331~1334年)遠山景長が、高森山(現在の中津川市苗木町)に砦を築く。 元弘(1331~1334年)~建武(1334~1336)の頃、遠山景利が恵那郡福岡村植苗木に広恵寺城を築く。 1526年(大永6年)遠山昌利が植苗木から高森山に館を移す。 戦国時代の天文年間(1532年) 遠山直廉が高森に苗木城を築く。 織田信長没後、豊臣方の森長可に城を落とされ、城主遠山友忠は徳川家康を頼って落ち延びた。 関ヶ原の戦いが起こると、友忠の子遠山友政は豊臣方の河尻秀長から苗木城を奪い取った。戦後この功が家康に認められ、遠山氏は再びこの地に返り咲き、苗木藩主として幕末まで苗木の地を治めた。
「赤壁城」の別名があり、城の壁は白漆喰ではなく赤土がむき出しになっていたと伝えられる。 その理由については、木曽川に住む竜が白い色を嫌い、何度漆喰を塗り直しても嵐を起こしてはぎ取ってしまったという話が残されている。 苗木城は美しい白壁の城として完成したが、一夜明けると漆喰が全部落ちて赤土が露出している。何度塗りなおしても、朝になると同じ事であった。 殿様は、犯人を見届けてやろうと、一人で夜の天守閣で見張っていた。 すると、夜空が掻き曇って雨風が出て来たかと思うと、恐ろしい大きな竜が現われ、熱い息を城に吐きかけると、たちまち壁が落ちてしまったという。 実際には、苗木藩が経済的に弱体で漆喰を塗る経費が捻出できなかったと思われる。
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